パンクの精神

パンクについて、音楽について

孤高のバンド Joy Division



Joy Division」は、色々な意味で“独創的”なバンドだ。
ボーカルのイアンは、音程差の少ない、低く朴訥なバリトンボイスで、淡々と「歌」という作業をこなしていくが、そこには、決して何者も寄せ付けない心が宿っている。
ピーター・フックのベースは狂っている。固定観念をぶち壊すメロディックで変則的なベースラインは聴く者に強烈な印象を残す。
バーナードのギターは、ロック史上1,2を争う下手なギターと言っても過言ではないだろう。しかし、彼はある意味では最も上手いギタリストの一人だとも思う。彼は本当に必要な音しか弾かない。
ドラムのスティーヴン・モリスは、メンバーの中では一番演奏技術が高いと言えるだろう。しかし彼にもやはり何か変なところがある。
彼は、正確なリズムを文字通り機械のように反復する。

それぞれが独創的な4人だが、彼らの本当の凄さは、やはりバンドとしての力が結集される唯一の場所=「アンサンブル」において遺憾無く発揮される。
無駄が極限までそぎ落とされたシンプルなサウンドには、彼らの全てが詰まっている。
俺は、彼らの演奏を初めて聴いた時に「これでも音楽になるんだ」と大きな衝撃を受けた覚えがある。
彼らのサウンドの独創性を最も体現しているものの一つは、各パート間の「パワーバランス(力の配分)」だろう。
俺はこのバンドと出会うまで、この「パワーバランス」というものについて、本当に真剣に考えたことは一度もなかった。
ボーカルはボーカルらしく、ギターはギターらしく、ベースはベースらしく、ドラムはドラムらしく、演奏することが「常識」だと半分信じていた。誰が決めた訳でもないのに。
しかし、このバンドと出会ってその「幻想」は根本から覆された。
そこでは、ギターのように弾くベースとベースのように弾くギターが交錯していた。
音程差の少ないボーカルラインはその特徴をより際立たせ、唯一、徹頭徹尾機械的なドラムのリズムは、その空間の中で異質な存在として、仮想と現実をかろうじて繋ぎ止めていた。
ボーカル>ギター>ドラム≧ベースという、誰が決めた訳でもない固定観念。 
それを100人のうち99人が信じて疑わなかった時、Joy Divisionは静かにそれに背を向け、黙々と自分達の音楽を追究した。彼らは間違いなくパンクだった。
結果的に彼らは、演奏技術の低さも作用して、当時最も“批判的”な音楽を最も“分かりやすい”形で示すこととなった。

最後にJoy Divisionは、自分にとって、本当の「優しさ」を教えてくれる数少ないバンドでもある。
イアンの歌は、いつも「一人」につき続ける。
それは、自分にとって大切なものを守り続けるためだ。
たしかに、彼らの音楽の中で描かれている世界は、お世辞にも明るくはない。
むしろ彼らの音楽は、聴く者に対して、人生には耐えがたい孤独と苦悩が存在するということを強く気付かさせる。
しかし同時に、この音楽は、本当の孤独や苦悩を知っているものが持つ優しさをも表現しているように、俺には聴こえる。

その優しさは、万人に受け入れられる標語的で模範的なものではないかもしれない。  
だがそれは、教室の片隅で、一人で戦っている者を勇気づけることができる優しさだ。
たとえ99人が同じ方向を向いたとしても、1人は堂々と自分の道を進んでゆけばいい。
うつむき加減の四人の丸まった背中には「本物」が宿っている。

http://youtu.be/GVVdEqBbr4k

Unknown Pleasures

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Closer

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